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8 中惣(なかそう)

江戸時代に、城下町があったころの一乗谷を描いた「一乗谷古絵図」によると、朝倉景鏡(かげあきら)の館があったところといわれています。朝倉景鏡は、朝倉最後の当主5代目義景のいとこにあたり、朝倉氏一族のなかでも特に地位が高く、大野郡司(ぐんじ)として現在の大野市あたりを治めていました。当主の館である朝倉館に次ぐ広い屋敷で、南北には堀と土塁があります。敷地の規模は5千㎡以上と推定されています。ここからは、中世の尺八の一種「一節切(ひとよぎり)」が発見されました。当時、どのような音を奏でていたのでしょうか。天正3年(1573)、この朝倉景鏡の裏切りによって、越前朝倉氏は、5代目当主朝倉義景で終焉し、やがて戦国時代の幕も閉じられます。