Photo

34 復原町並 町屋群(まちやぐん)

町屋群では、西の山側では土塀(どべい)で囲まれ、門をかまえる大規模な屋敷が整然と見られるのに対して、東側では、小さな建物が連続して道路に接して見られます。最初は、ここも大規模な屋敷であったようですが、朝倉時代の後半になって、現在見られるように小さく町割りされたことが、確かめられています。これらの小規模な屋敷は、町を構成する庶民としての職人や商人の住まいと考えられています。しかし、まだ、刀狩りも実施されておらず、下級武士や農民、職人、商人などの身分は、明確に分かれていませんでした。ただ、朝倉氏との主従関係を持ち、いざ、戦(いくさ)となれば、戦場に出かけた人々が多かったと考えられています。これらの小規模の屋敷は、大きく二つに分けることができます。一つは、南北方向の道路に面してみられるもので、屋敷境に溝があり、各屋敷内には建物と共に井戸、便所を備え、独立性が高いものです。建物の多くは、「妻入り(つまいり)」と呼ばれる建て方で、道路に屋根の端、すなわち「妻」を見せています。もう一つは、東西方向の道路に面したもので、屋敷の境が必ずしもはっきりとしていないものです。建物は「平入り(ひらいり)」と呼ばれる建て方で、軒が連続するように続いており、中には井戸や便所を欠くものもあります。