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3 安波賀・武者野(あばか・ふしゃの)

この地区は、戦国時代、城下内と城下外との接点の役割を果たしていたところです。明応7年(1498)には、ここは、「越前の入江、唐人の在所」とよばれていました。川湊(かわみなと)として、船着場があり、川舟が行き来していました。唐物(からもの)の売買が盛んな流通の町として、周辺には町屋や蔵、寺院などが建ち並んでいたようです。また、安波賀河原においては、永禄5年(1562)8月に曲水宴(きょくすいのえん)が催されました。豪華で華やかな曲水宴の様子は、「希代の興遊、末世の美談」と記録されています。さらに、記録によれば、一向一揆との合戦による、敵味方の亡魂供養の経堂も建てられていました。安波賀地区から足羽川を500mほど上流には、武者野の地があります。武者野は、火葬場と推定されるところで、人の死に関わる場所であったようです。